Japonia Hortus

key to understand the Japanese garden

明治及び大正時代


 江戸時代はオランダなどの一部を除いて鎖国を続けていたが日本に1853年にマシュー・ペリーが黒船を引き連れ来航し、開国を要求。日本は開国を決めた徳川幕府とそれに反対する長州・薩摩を中心とする尊王攘夷派による幕末の戦いへと発展する。戦いの後、幕府は倒れ天皇を中心に据えた新政府が造られる。武士はその地位を追われ新政府の政治家や商人などが力を強めていく。

 江戸の半分を占めていた大名庭園や屋敷は殆どが壊され、少数が政府に保護及び政治家や商人に売却された。また政府によって西洋化を進めるため西洋風公園の設置が進められ、最初の本格的西洋公園として日比谷公園が本多静六によって造られる。本多静六は明治・大正時代に数多くの公園を造り「公園の父」と呼ばれるようになる。

日比谷公園
無鄰菴
 その反面、伝統的な日本庭園の需要は依然として高く、日本庭園をさらに自然風で明るく変えた作庭が広まっていく。七代目小川治兵衛は明治・大正時代に活躍した作庭家で、曲線の園路・せせらぎ・広い芝生面を使い明治の新しい要求にこたえていく。彼は後の日本庭園に大きく影響し、特に昭和には雑木の庭として結実していく。
 大正は民主化の時代であり、倒幕に参加し新政府を確立した政治家が政界を退きはじめ、民衆の中から新しく政治家が選ばれるようになる。民衆の要求から、財閥が所有する庭園などが一般に公開されるようになっていった。

 1923年には関東大震災が発生し、それによる火災で東京の大部分が焼けてしまう。公園や緑地が火災の際の避難所として有用だと気付いた政府は災害に備えて公園や緑地の整備を進めていく。


日本庭園の歴史と種類