Japonia Hortus

key to understand the Japanese garden

昭和


 太平洋戦争により日本各地が焼け野原になり、公園や庭園を補修し始めるまでには10年の歳月を必要とした。1954年から1973年までの間は日本の経済が飛躍的に成長し、大阪万博や東京オリンピックがそれに拍車をかける。これらの国際的な催しや集合住宅の建設により都市部に緑地が誕生し、公害問題が民衆に環境について考えるきっかけとなった。
 また技術の進歩からいままで庭として使われてこなかった屋上やベランダなどが植物を育てられる場所として使われ始め、その反面個人の庭は都市部では極端に小型化していった。
万博記念公園
京王プラザホテル
 昭和に主に作られた庭園様式は大きく三つに分けられる、伝統的な日本庭園・雑木の庭・モダン日本庭園である。
 雑木は農村の周辺部に雑木林として育てられていた木々で、雑木の庭は明治の自然風庭園の流れをくみ、都会に疲れた人々に田舎を思い起こさせ、日常を離れさせることに成功し人気を集める。また雑木はまきとして使われるので定期的に切られることにより、株立ちになりやすく、雑木の庭が人気になることで株立ち植物も園芸市場に出回るようになる。
 昭和には芸術家や建築家が造園に参加するようになり、今まで禁忌とされてきた切った石やノミ後の残る石などを使い庭園を造っていく。これらの庭園や海外のモダニズム庭園などが伝統的な日本庭園と合わさりモダン日本庭園へと進化していった。
 重森三玲は昭和を代表するモダン日本庭園の作庭家で、作庭家として始める前に全国の日本庭園を実測調査し伝統的な造園様式を学び自己流の庭園手法を確立していく。

 彼の造る庭園は立石と直線を使った地割が特徴で、庭園は三次元の芸術だと考えイサム・ノグチや土門拳などの芸術家と交流を深め、造園だけでなくいけばな・茶道にも足跡を残している。

松尾大社

日本庭園の歴史と種類