Japonia Hortus

key to understand the Japanese garden

飛鳥時代


 飛鳥時代は日本が国家として認知されその首都を飛鳥に置いた時代である。当時の天皇は中国や朝鮮から人を招き入れその文化や技術を吸収しようと努めました。路子工(みちのこのたくみ)はその中の一人で、日本庭園史に出てくる最初の人物である。彼は百済から移住し、当時の天皇から御所の南庭に呉橋(屋根や欄干のある反り橋)と須弥山(仏教世界で中心に立つ山。石組みで表現されることが多いが当時は石像彫刻のようなものだと考えられる)を作るよう命ぜられる。
 戦後から長い間飛鳥時代には方形の小さな池遺構しかなく本格的な庭園は存在しないと考えられていた。その後定説を覆すような数々の発見があり、特に1999年に発掘された飛鳥京苑池は日本庭園史に大きな衝撃を与えた。
園城寺閼伽井屋
飛鳥歴史博物館
 この遺構は東西100m、南北200mの巨大な苑池であり、出島を造り護岸は石積みで作られていた。さらに驚くことに、噴水のような水景装置も見られ、地下水を引き入れて池の水位を保つなど高度な土木工事まで行っていた。飛鳥時代は歴史家が思っていたよりもはるかに進んだ造園技術を持っていたことが発見された。
 もう一つこの遺構の面白い点は、いままで方形の池しか見られなかった飛鳥時代の意向とは違い、直線だけでなく曲線も使い苑池を作っている点で、これは方形池から日本庭園に見られる曲線の池泉につながる通過点と見ることができる。

日本庭園の歴史と種類